「最悪」のことも「ジャッジしない」

この3月、私は婦人科の大きな手術を経験しました。

手術は無事に終わり、今は気分も晴れやかに退院し、日に日に回復しています。
けれど、そこに至るまでの日々は、心にも体にもなかなかハードな時間でした。

誰の人生にも、ときどき思いもよらないつらい出来事が起こります。

仏教には「生老病死(しょうろうびょうし)」という言葉があります。
生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと――
それは人間が生きる限り避けることのできない、根源的な苦しみのこと。

つまり人生には、どうしても「思い通りにならないこと」がある、ということなのだと思います。

今回の体験は、私にとっても少しこたえるものでした。

数年前、私は動物性食品を完全にやめ、
6か月ほど菜食で過ごしていた時期がありました。

当時の私は、毎朝早く起きて、
ヨガと瞑想を合わせて2時間近く実践していました。
早起きが苦手な私がです。

最初のうちは、体がとても軽く、エネルギーに満ちていて、
元気もやる気もあり、「すごく調子がいい」と感じていました。

ところが、半年ほど経った頃から、
疲れやすくなったり、イライラしやすくなったり、髪が抜けたりするようになりました。

その後、お肉やお魚を食べるようになってイライラはおさまったのですが、
髪の悩みは続き、さらに歯ぐきの不調や歯のトラブルも重なりました。

そしてその翌年、今度は骨盤底子宮脱という症状が現れたのです。

ヨガを長く実践してきた自分が、
まさかそんなことになるとは思っていなかったので、最初はかなりショックでした。

もちろん原因はひとつではないと思います。
年齢や体質、さまざまな要因が重なったのだと思いますが、
私自身としては、当時の自分には少し無理のある食事や生活の偏りもあったのかもしれない、と感じています。

菜食そのものが悪いと言いたいのではなく、
どんなに良いと言われることでも、自分の体に本当に合っているかは別なのだ、
ということを、身をもって学んだ気がしています。

そして何より、当初の私はこう思ってしまいました。

骨盤底子宮脱なんて、ヨガインストラクターとして恥ずかしくて人に言えない。
こんなの、ダメじゃん。

でも、そのとき私はハッとしました。

これまで私は、多くの人に尊敬されている素晴らしい先生方が、
怪我をしたり、病気になったり、早く亡くなられたりする姿も見てきました。

もし私が自分に対して
「恥ずかしい」「ダメだ」と思うのだとしたら、
それはどこかで、そういう先生方のことまで
同じようにジャッジしていたことになるのではないか――
そう気づいたのです。

そこで、私はあらためて心に決めました。

「ジャッジしない。」

これは、ヨガの学びの中で何度も何度も教えられてきたことですし、
私自身もクラスの中で繰り返しお伝えしていることです。

「ジャッジしない」とは、
起きた出来事をすぐに「悪いこと」と決めつけない、ということ。

そのことを、今回私は自分自身に対して試されているように感じました。

ここで、私が好きなヨガのお話をひとつご紹介します。

仕切り

 

「最悪の中に潜む幸せ ― アシュタバクラの教え」

 

ある国に王様がいて、アシュタバクラという家来をとても気に入っていました。

なぜなら、王様がどんな相談をしても、
アシュタバクラはいつもこう言うのです。

「王様、心配ありません。それは最高の出来事です。」

ある日、王様は狩りの最中に手に怪我をしてしまいました。
それでもアシュタバクラは、いつものように言いました。

「王様、心配ありません。それは最高の出来事です。」

怒った王様は、
「怪我をしているのに、何が最高の出来事だ!」
と、アシュタバクラを牢屋に入れてしまいます。

その後、王様が再び森に出かけると、
ある部族に捕まり、生贄にされそうになります。

けれど、その部族は王様の手の怪我を見て、
「傷のある者は生贄にふさわしくない」として、王様を解放したのです。

王様は無事に帰り、
「アシュタバクラの言っていたことは本当だった」と気づいて、
牢屋から彼を出し、謝りました。

するとアシュタバクラはこう言いました。

「王様、私が牢屋に入れられたことも最高の出来事でした。
もし一緒に狩りに行っていたら、私が生贄にされていたでしょう。」

仕切り

私たちの人生にも、
そのときには「最悪だ」と思える出来事が、
後から振り返ると、別の意味を持っていた――
そんなことがあるかもしれません。

だからこそ私は今回のことも、
これは何か意味のある出来事なのかもしれない、
今はわからなくても、実は最高の出来事につながるのかもしれない、
と、どこかでずっと思っていました。

骨盤底子宮脱が徐々に悪化していく中で、
体を動かすことも少しずつつらくなり、
体力も、気力も、認知力さえも落ちていくのを感じていました。

それでも、

流れに身を委ねてみよう。
きっとこの体験にも意味がある。

そう思いながら、私はこの時間を過ごしてきました。

では実際に、どんな手術を受けて、
その中で何を感じ、何を体験したのか。

そのお話は、また次回に書いてみたいと思います。

もし今、思い通りにならない出来事の中にいる方がいたら、
どうかご自身を責めないでくださいね。

きっと、何か意味があるのだと思います。
今はそう思えなくても、
それがいつか「最高の出来事」へとつながっていくことも、
人生にはあるのかもしれません。

でも、とてもつらいときには、
そんなふうには考えられないこともありますよね。

そんなときは、少し時間をとって、
自分を大切にする時間をつくってみてください。

静けさの中で、呼吸を感じながら、
ゆっくり優しく体を動かしてみる。

あるいは、ただ目を閉じて、
何もない静寂を感じてみる。

そんな小さな時間が、心と体を少しずつ整えて
安心感を与えてくれるかもしれません。

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