はじめてのインド

またブログ書きたい熱が高まってきたので、消えないうちに書こうと思います。

最近、私の周りの友人や私の所属する協会の綿本彰先生がツアーや旅行でインドを訪れている様子をSNSで見てたら、昔の記憶が次々と蘇ってきました。

私が以前インドを訪れたのは、早いものでもう20年近く前になるかもしれません。そんな前なので記憶はところどころ怪しいのですが、私の人生を変え、今やっているなつこ工務店や、八王子ヨガ祭りなど今の私の活動の発端となった貴重なインドでの体験を、今あの頃よりも少し大人な視点から振り返ってみると、自分自身や、いま現状を変えたいと思っている人の参考になるかもしれないと思って、書くことにしました。

私が通っていたスタジオのケンハラクマ先生というヨガの先生が、毎年南インドのマイソールのグルジ(ヨガの師)の元に、数ヶ月間ヨガの練習に行かれていて、ヨガを始めたばかりの私達に「インドは面白いから君たちも行った方がいいよ」とお話しされていたんです。私はすかさず「え?行きたいです!」と答えました。そうしたらケン先生が「次にマイソールに行ったときにシェアハウスを借りようと思うから、その部屋に泊まれるようにしておくよ」って言ってくださったんです。その時一緒にヨガを始めたばかりの仲間たちもみんな行きたがっていましたが、実際に行ったのは私一人でした。

それまでも私はインドとは何かとご縁がありましたが、インドのことはほとんど知りませんでした。20代の頃アジアをバックパック旅行している時にマレーシアで泊まったゲストハウスのインド人オーナー家族に親切にしてもらったり、ヒンディーポップダンス(インドムービーダンス)をしばらく習っていたり、その関係でインド人の経営する四谷のインド料理店でバイトしてたり、立川でインドの伝統医学アーユルヴェーダのクリニックに何年も通っていたりしました。

特にインドに興味があったのではなく、たまたま魅力を感じた宿や、ダンスや音楽や、本で知ったアーユルヴェーダがインドのものだったんです。そんなわけでそれまでインドは私にとって遠い未知の世界で、行けるイメージは全くなかったんですが、突然呼ばれたような気がしました。運よくその時の勤め先の上司が理解があり、有給含め1ヶ月半の休暇をもらえました。今思うとちょっとありえないほど運がよかったです。

先にマイソールに行かれていたケン先生がメールで、マイソールにいる日本人トモくん(仮名)という男の子を紹介して下さいました。トモくんから、日本のお米や緑茶、急須も持ってきてほしいというメールが来ました。私はスーツケースに玄米や味噌、出汁、梅干し、海苔、緑茶など、たっぷり詰め込んで出発したのを覚えています。

飛行機は深夜に南インドの中央にある大都市バンガロールに到着し、びくびくしながら両替所で現金をルピーに両替しました。ルピーはひと抱えあるほどの札束となり、自分の後ろにいるインド人の群衆を見るのが怖かったです。数時間かけてスリル満点のタクシーでまだ伝統の色濃く残る古い街マイソールのシェアハウスに到着しました。夜中の3時でしたが門を開けて上に上がりノックすると、やはり日本からケン先生の紹介で来ていた南アフリカ人の女の子が眠い目を擦りながら出迎えてくれ、部屋に案内してくれました。ケン先生はすでにマイソールを立たれた後でした。

それから2ヶ月近くの間、マイソールの街で過ごしました。朝晩が少し冷える冬の終わりの2月末頃から、日本の東京かそれ以上に暑い夏の3月、暑くて外出も命懸けという感じの真夏4月の初め頃でした。毎朝夜明け前に必死で起きて、涙が出るほど真っ赤な朝日に向かって歩いて練習に出かけました。さまざまな国や人種の人たちと汗と埃にまみれ、今振り返れば目眩く濃厚な日々を過ごしました。

マイソールの美しい高級住宅街では、部屋がいくつも余っているような大きなお屋敷の部屋を利用した、ヨガの練習生のためのシェアハウスがたくさんありました。広くて素敵なダブルベッドとドレープのカーテンが優雅な絵になる贅沢なお部屋でしたが、エアコンや網戸はありませんでした。

ヨガの練習の帰りに寄るのにちょうどいい、ヘルシーなカフェや、アーユルヴェーダやマッサージのサロンなんかもありました。ヨガの練習は朝のうちに終わるので、練習の後はそういったところで時間を忘れておしゃべりしたり、情報交換したり、連れ立ってショッピングや観光へ出かけたりしました。

一つだけあったエアコンの効いたインターナショナルなホテルのブッフェで、お腹がはち切れるほど美味しい料理を食べてから、水着とサングラスでプールサイドでゴロゴロしたりして過ごすことも多かったです。世界中からセレブが集まる、アシュタンガヨガの創始者パタビ・ジョイス師(グルジ)がご健在の時代でした。

私の泊まっていたゲストハウスには、東京で雑誌の編集の仕事をしているというモデルさんのように美しい南アフリカ人の女性と、後から到着した映画監督をしているという旦那さん、東京在住のノマドのアメリカ人男性が泊まっていました。トモくんは近くのもっと安い宿に泊まっていました。その後、ロンドンから来ていたバイリンガル関西人の日本人女性も仲間になりました。練習の後は、家の屋上でヨガの自主練習をしたり、近所の家庭で開催していた料理教室や絵画教室、音楽教室などに通ったり、立派な施設から民間のサロンまで様々な施設でアーユルヴェーダのトリートメントを受けたり、市場やお寺やお城に出かけたり、私の日本食でパーティーをしたりしました。

お休みの日は、みんなで山の上の洞窟に住むヨガ行者に会いに行ったり、トモくんが借りたレンタカーで奥地のチベット人の村まで行って、宿がなく病院のベッドに泊めてもらうという貴重な体験もしました。食事はずっとベジタリアンで、お酒は一滴も飲みませんでした。

つづく

〜なつこの12月のスケジュール〜

●12/4(月)
14:00-15:30 hachiyoga @Ticoship

●12/6(水)
10:30-12:00 Natsuko Yoga Salon

●12/20(水)
10:30-12:00 Natsuko Yoga Salon

●12/27(水)
10:30-12:00 Natsuko Yoga Salon

●12/28(木)
17:00- Natsuko Yoga Salon
キャンドルナイト
17:00-18:30 ヨガと瞑想
18:45-20:30 南インド料理で忘年会♪

「インドに呼ばれた話-第1話」への2件のフィードバック

  1. なつこさん、私も何度もインドに行きたいと思いましたが、仕事が休めずタイミングが合わず、実現できていません。
    今年も彰先生のリシケシツアーもオンラインでの説明のみ参加でした。
    ハラクマ先生はYOGAを始めた頃、といっても50歳くらいに特別クラスに参加したことがあります。クラス終了後、握手してもらいました。
    なつこさんのインド体験、とても興味深いです‼️やはり、「呼ばれる」時期とタイミングがあるんですね。ブログの続きをとても楽しみにしています。

    1. 仁美さん、コメントありがとうございます!!とても嬉しく励みになります!
      仁美さんもケン先生にお会いしてるんですね。
      インドは呼ばれると言いますが、本当に突然呼ばれたような実感がありました。
      引き続きよろしくお願いいたします。

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